タニヨン・ジェームズ・スターツTanyon James Sturtze, 1970年10月12日 - )は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ウースター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。

経歴

プロ入りとアスレチックス傘下時代

1990年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから23巡目(全体636位)指名され、プロ入り。

カブス時代

1994年にルール・ファイブ・ドラフトでシカゴ・カブスへ移籍した。

1995年5月3日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビューを果たした。

レンジャーズ時代

1997年にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同年はメジャーで9試合に登板した。

1998年は、メジャーに昇格する事は無く、この年限りで退団した。

ホワイトソックス時代

1999年にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、同年はメジャーで1試合に登板した。

デビルレイズ時代

2000年のシーズン途中にトニー・グラファニーノとのトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍した。

2001年は、開幕からリリーフで投げていたが、5月から先発に転向した。9月25日のニューヨーク・ヤンキース戦では、7回を無失点に抑え、この年16連勝中の相手先発ロジャー・クレメンスに投げ勝った。最終的に規定投球回にも到達して自身初の二桁勝利となる11勝を挙げた。チームは100敗を喫していたが、スターツの先発試合は15勝12敗と勝ち越しており、担当記者が選ぶチームMVPを受賞した。

2002年には、開幕投手を務めたが、ア・リーグワーストの18敗を喫した。この年限りで退団する。

ブルージェイズ時代

2003年は、トロント・ブルージェイズでプレーした。

ドジャース傘下時代

2004年4月にロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。

ヤンキース時代

2004年5月15日にブライアン・マイローとのトレードでヤンキースへ移籍した。7月24日の主にアレックス・ロドリゲスとジェイソン・バリテックが乱闘を起こしたボストン・レッドソックス戦では、スターツは、ゲーブ・キャプラー、デビッド・オルティーズ、トロット・ニクソンにもみくちゃにされ、耳を負傷し流血した。

ブレーブス傘下時代

2006年12月3日にアトランタ・ブレーブスと1年契約を結んだ。

2007年3月に15日間のDL入りをした。5月に60日間のDLに切り替わった。その後、8月21日に解雇された。

ドジャース時代

2007年12月12日にドジャースとマイナー契約を結んだ。

2008年8月14日にメジャーに昇格した。8月28日にDFAとなった。その後、マイナーに降格した。

2009年1月にマイナー契約を結び、残留した。5月1日に解雇された。

引退後

その後、現役引退した。引退後は、ニューヨークにある「ホタリング・グループ」という保険会社のセールスマンを務めセカンドキャリアを築いている。

詳細情報

年度別投手成績

背番号

  • 34 (1995年 - 1996年)
  • 47 (1997年、1999年 - 2000年途中)
  • 49 (2000年途中 - 2002年)
  • 31 (2003年)
  • 56 (2004年 - 2006年)
  • 37 (2008年)

脚注

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Tanyon Sturtze (@sturtze56) - X(旧Twitter)

スタリオン 1982年モデル の製品画像

デスティニーガンダム|yoru524さんのガンプラ作品|GUNSTA(ガンスタ)

【状態良好】80s スターター Lサイズ NY スタジャン ヤンキース メルカリ

タイのエース・スターシニー、日本ペイントマレッツ残留「皆さんの声援がいつも力に」 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)

デスティニーガンダムSpecⅡ|ゆうさんのガンプラ作品|GUNSTA(ガンスタ)