東頸城郡(東頚城郡、ひがしくびきぐん)は、新潟県にあった郡。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。
- 上越市の一部
- 安塚区
- 浦川原区
- 大島区
- 牧区(宇津俣・上牧・府殿・下湯谷・倉下・原・上昆子・下昆子・東松ノ木・荒井を除く)
- 頸城区(石神・塔ケ崎)
- 十日町市の一部(荒瀬および清水、苧島、中子、滝沢、片桐山、孟地、犬伏、海老、松代東山、松之山東山、松之山上鰕池、松之山東川以西)
- 柏崎市の一部(高柳町田代)
歴史
郡発足までの沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、頸城郡のうち後の本郡域の支配は以下の通り。○は寺社除地が存在。(173村)
- 慶応4年7月27日(1868年9月13日) - 幕府領が柏崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治元年11月5日(1868年12月18日) - 柏崎県を廃して新潟府に合併することが布達される(実行されず)。
- 明治初年 - 寺社領および高田藩領の一部(山口村・朴之木村・菅沼村)が柏崎県の管轄となる。
- 明治2年
- 2月22日(1869年4月3日) - 再度柏崎県を廃止する布達が出され、越後府(第2次)に合併。
- 8月25日(1869年9月30日) - 旧・柏崎県の管轄地が柏崎県(第2次)の管轄となる。
- 明治4年
- 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が高田県の管轄となる。
- 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が柏崎県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)
- 6月10日 - 全域が新潟県の管轄となる。
- 東浦田村・西浦田村・南浦田新田・北浦田村・中立山新田・藤原新田・本山新田が合併して浦田村となる。(167村)
郡発足以降の沿革
- 明治12年(1879年)
- 4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により、頸城郡のうち167村に行政区画としての東頸城郡が発足。郡役所を安塚村に設置。
- 刈羽郡嶺村の所属郡が本郡に変更。(168村)
- 明治15年(1882年) – 坂下村の一部(枝郷青苧平・原)より東山村が分立。(169村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。(33村)
- 明治30年(1897年)
- 1月1日 - 新潟県で郡制を施行。
- 4月16日 - 北山村の一部(儀明)が北平村に編入。
- 11月15日 - 末広村の一部(石神・石神新田・石神古川新田・塔ヶ崎)が中頸城郡明治村に編入。
- 明治34年(1901年)11月1日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(14村)
- 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和29年(1954年)
- 3月31日 - 松代村・山平村が合併し、改めて松代村が発足。(13村)
- 10月1日 - 松代村が町制施行して松代町となる。(1町12村)
- 11月1日 - 牧村・沖見村が合併し、改めて牧村が発足。(1町11村)
- 昭和30年(1955年)
- 3月31日(1町6村)
- 松之山村・浦田村が合併し、改めて松之山村が発足。
- 下保倉村および安塚村の一部(旧月影村・旧中保倉村)が合併して浦川原村が発足。
- 菱里村・小黒村および安塚村の残部(旧月影村・旧中保倉村を除く)が合併し、改めて安塚村が発足。
- 大島村・保倉村・旭村が合併し、改めて大島村が発足。
- 8月1日 - 安塚村が町制施行して安塚町となる。(2町5村)
- 3月31日(1町6村)
- 昭和33年(1958年)11月1日 - 松之山村が町制施行して松之山町となる。(3町4村)
- 昭和34年(1959年)1月1日 - 奴奈川村が松代町に編入。(3町3村)
- 昭和42年(1967年)4月1日 - 松代町が中魚沼郡川西町の一部(桐山)を編入。
- 昭和60年(1985年)4月1日 - 松代町の一部(田代)が刈羽郡高柳町に編入。
- 平成17年(2005年)
- 1月1日 - 安塚町・浦川原村・大島村・牧村が上越市に編入。(2町)
- 4月1日 - 松代町・松之山町が十日町市および中魚沼郡川西町・中里村と合併し、改めて十日町市が発足。同日東頸城郡消滅。
変遷表
行政
- 歴代郡長
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 中頸城郡
- 西頸城郡
外部リンク
『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 57,342人、戸数 8,959との記述あり




