ドウェイン・キース・マーフィー(Dwayne Keith Murphy , 1955年3月18日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。
ベースギター奏者でもあり、M.C.ハマーのファーストアルバムのリリースに際しては資金を提供した。
来歴・人物
1973年のMLBドラフト15巡目でオークランド・アスレチックスに指名され契約。1978年4月8日にメジャーデビュー。持ち前の好守と一発長打の打撃で1979年にはレギュラーとなり、1980年にゴールドグラブ賞を受賞。以後、1985年まで6年連続して同賞を受賞した。主にリッキー・ヘンダーソンの後の2番打者として活躍。打率は1980年の.274が最高であったが、1982年には27本塁打、94打点(自己最高)。1984年には33本塁打(自己最高)、88打点と次第にホームランバッターに成長。1982年にヘンダーソンが当時のメジャー新記録となる119盗塁目を記録した際に、ベースを引き抜いて掲げたが、インタビューの中で、「もしこのベースを半分に割ることができたなら、半分をマーフィーに与えたい」と語ったほど、ヘンダーソンの盗塁をアシストした。
しかし、1986年頃よりホセ・カンセコら若手の台頭や自らの衰えで出場機会が減り、1988年にはデトロイト・タイガース、1989年にはフィラデルフィア・フィリーズと渡り歩く。
1990年に野村克也を新監督に迎えたヤクルトスワローズが、野村の希望した「センターラインの強化」を目的に、前年のセ・リーグ本塁打王ラリー・パリッシュ一塁手を解雇してまで獲得。開幕から5月9日までは4番打者として起用されたが、不振のため5番、さらに6番に降格。5月24日の出場を最後に故障のため欠場し、8月に解雇された。
アスレチックスの地元オークランドでは引退後も長い間有名人であった。1998年から2003年までアリゾナ・ダイヤモンドバックスの打撃コーチを務めた。2008年にトロント・ブルージェイズの一塁コーチに就任し、2010年からは打撃コーチを務め、積極的にフルスイングする打線を作り上げた。その結果、2010年のブルージェイズはチーム出塁率がリーグワースト2位ながらも、両リーグ1位の257本塁打(史上3位)を記録した。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- MLB
- ゴールドグラブ賞:6回 (1980年 - 1985年)
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1990年4月7日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、4番・中堅手として先発出場
- 初打席:同上、1回表に斎藤雅樹から一ゴロ
- 初安打・初打点:同上、4回表に斎藤雅樹から右翼へ先制適時二塁打
- 初本塁打:1990年4月10日、対中日ドラゴンズ1回戦(明治神宮野球場)、9回裏に与田剛から逆転サヨナラ3ラン
背番号
- 36 (1978年)
- 21 (1979年 - 1987年、1998年 - 2003年)
- 40 (1988年)
- 6 (1989年)
- 7 (1990年)
- 41 (2008年 - )
関連項目
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




