ミステリー・トレイン(Mystery Train)は、アメリカ合衆国のブルース・ミュージシャンであるジュニア・パーカーが作曲し、1953年にレコーディングした楽曲。メンフィス・ブルースあるいはリズム・アンド・ブルースのスタイルで演奏されており、より古い楽曲にインスピレーションを受けている。
エルヴィス・プレスリーによって歌われたのを皮切りに多くのカバーが生まれており、ポピュラーなロカビリーの楽曲として知られるようになり、今や「不朽の名曲」と評価されている。プレスリーが全米規模のカントリー・ミュージックのスターの座に押し上げた最初の曲でもある。
楽曲とレコーディング
音楽歴史家のコリン・エスコットは以下の通り述べている。「『ミステリー・トレイン』に関するミステリーのひとつは、この題名の由来である。というのも、歌詞の中には題名はどこにも登場しないのだ」。この曲の歌詞にはアメリカのフォーク・ミュージックのグループ、カーター・ファミリーの「Worried Man Blues」と似通った部分が存在する。同曲は古いケルティックのバラードが元となっており、彼らが1930年に発表したレコードの中で一番売れたものとなっている。
一方、パーカーの歌には以下の歌詞がある:
パーカーはリトル・ジュニアズ・ブルー・フレイムズ名義で、サン・レコードのプロデューサー兼社主のサム・フィリップスのために「ミステリー・トレイン」をレコーディングした。レコーディング・セッションは、フィリップスの所有するテネシー州メンフィスのメンフィス・レコーディング・サーヴィスにて1953年の9月から10月の間に行なわれた。パーカーのヴォーカルのバックを務めたのは彼のバンドであるブルー・フレイムズで、参加したと思われる当時のメンバーはフロイド・マーフィー(ギター)、ウィリアム・ジョンソン(ピアノ)、ケネス・バンクス(ベース)、ジョン・バウアーズ(ドラムス)、そしてレイモンド・ヒル(テナー・サックス)といった面々である。
「ミステリー・トレイン」は1953年にR&Bチャート5位のヒットとなった「フィーリン・グッド (Sun 187)」に続くジュニア・パーカーのシングルだったが、この曲はシングル・チャート入りすることはなかった。
エルヴィス・プレスリーのバージョン
エルヴィス・プレスリーによる「ミステリー・トレイン」は、シングル『アイ・フォーガット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォーゲット』のB面収録曲として1955年8月20日に発表された(Sun 223)。同シングルはビルボードのカントリー&ウェスタン・チャートのトップ10に食い込んだ。2003年、ローリング・ストーン誌はオールタイム・グレイテスト・ソング500において、この曲を77位にランク付けした。
サム・フィリップスはパーカーのレコーディングに続いて、このレコーディングでもプロデュースを行なった。プレスリーがヴォーカルとリズム・ギター、スコティ・ムーアがリード・ギター、ビル・ブラックがベースを務めた。ムーアはカントリー調のリードのブレイク、それにフィンガー・ピッキングにスラップバック・エコーを効かせている。ムーアはまた、ジュニア・パーカーの「Love My Baby」(1953年)でパット・ヘアが弾いたギター・リフや、マール・トラヴィスの「16トン (Sixteen Tons)」など、既存曲の要素を散りばめている。
1955年11月、本曲はプレスリーとの契約締結によってレコーディングの権利を得たRCAビクターよって再発され(#47-6357)、全米ビルボードカントリー・チャートの11位を記録した。
その他のバージョン
- RCAビクターはプレスリー・バージョンを再発したのと同じ月に、ザ・タートルズによるポップス・バージョンを発売している(#47-6356)。ここではヒューゴ・ウィンターホルターと彼のオーケストラがバックを付けている。
- 1973年、ザ・バンドは本曲をアルバム『ムーンドッグ・マチネー』のためにレコーディングした。メンバーのロビー・ロバートソンは、サム・フィリップスの承認を得たうえで追加の歌詞を書いた。彼らは1976年のフェアウェル・コンサート『ラスト・ワルツ』でポール・バターフィールドと本曲を演奏している。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- Mystery Trainカバー・バージョン一覧 (SecondHandSongs) (英語)
- Mystery Train (Junior Parker)歌詞 - Mojim




