中野区議会議員選挙(なかのくぎかいぎいんせんきょ)は、中野区議会議員を選出する選挙。
概説
東京都中野区の地方議会の議員である中野区議会議員を決めるための選挙である。中野区民(東京都中野区に住所をおく人)の投票によって決める。
地方議会の議員の任期については地方自治法において規定されており、区議会議員の任期は4年とされている。よって議員が任期を満了する場合は、4年ごとに区議会議員選挙は行われることになる。現行の地方自治法による選挙制度になった1947年(昭和22年)以来、補欠選挙を除いた中野区議会議員選挙は全て統一地方選挙に併せて行われている。
区議会議員補欠選挙は欠員が定数の6分の1を超えた時に行われる。中野区ではこの条件を満たして補欠選挙が行われたことはない。ただし、区長選挙が行われる場合には区長選挙の告示の10日前までに1人でも欠員があれば、同じ日に補欠選挙(いわゆる便乗補欠選挙)が行われる。この場合、区長選挙と区議会議員補欠選挙の告示も同じ日となる。また、便乗補欠選挙が行われることが告示の10日前までにすでに決まっている場合、その議席数は告示日の時点での欠員数となる(とくに、区長選挙に区議会議員が辞職せず現職のまま立候補する場合、その議員は告示日まで区議会に在籍したのち自動失職することになるので、告示日での欠員にその人数を含まない)。1986年4月23日に当時の中野区長である青山良道が死去して以降、中野区長選挙とそれに便乗した中野区議会議員補欠選挙は統一地方選挙とは別の時期に行われている。
中野区選挙管理委員会が管理をしており、様々な統計調査およびその公表も中野区選挙管理委員会が行っている。
選挙結果
以下、得票数は原則として小数点以下切り捨てである。
2023年(令和5年)4月23日執行
統一地方選挙。議席数42。
最下位と次点が小数点未満の票差となったのは案分によるので、その内訳を下に示す。
2022年(令和4年)5月22日執行
中野区長選挙の便乗補欠選挙。議席数1。この時の区長選挙では酒井直人が2期目の当選。
2019年(平成31年)4月21日執行
統一地方選挙。議席数42。
案分の内訳を下に示す。
2018年(平成30年)6月10日執行
中野区長選挙の便乗補欠選挙。議席数1 。この時の区長選挙では酒井直人が当選。
2015年(平成27年)4月26日執行
統一地方選挙。議席数42。この前年(2014年)の区長選挙では田中大輔が4期目の当選。
案分の内訳を下に示す。
2011年(平成23年)4月24日執行
統一地方選挙。議席数42。
2010年(平成22年)5月23日執行
中野区長選挙の便乗補欠選挙。議席数2。この時の区長選挙では田中大輔が3期目の当選。
2007年(平成19年)4月22日執行
統一地方選挙。議席数42。この前年(2006年)の区長選挙では田中大輔が2期目の当選。
2003年(平成15年)4月27日執行
統一地方選挙。議席数42。この前年(2002年)の区長選挙では田中大輔が当選。
1999年(平成11年)4月25日執行
統一地方選挙。議席数44。
1998年(平成10年)5月24日執行
中野区長選挙の便乗補欠選挙。議席数1。この時の区長選挙では神山好市が4期目の当選。
1995年(平成7年)4月23日執行
統一地方選挙。議席数48。
1994年(平成6年)6月5日執行
中野区長選挙の便乗補欠選挙。議席数3。この時の中野区長選挙は無投票選挙で神山好市が3期目の当選を決めており、便乗補欠選挙の投票率が低い。
1991年(平成3年)4月21日執行
統一地方選挙。議席数48。この前年(1990年)の区長選挙では神山好市が2期目の当選。
1987年(昭和62年)4月26日執行
統一地方選挙。議席数48。
1986年(昭和61年)6月15日執行
青山良道前区長の死去に伴い中野区長選挙が行われ、その便乗補欠選挙。議席数2。この時の区長選挙では神山好市が当選。
1983年(昭和58年)4月26日執行
統一地方選挙。議席数48。区長選挙では青山良道が2期目の当選。
1979年(昭和54年)4月26日執行
統一地方選挙。議席数48。この時の区長選挙では青山良道が当選。
1975年(昭和50年)4月27日執行
統一地方選挙。議席数48。24年ぶりに公選となった区長選挙が同時に行われ、この4年前の1971年(昭和46年)10月から区長に就任していた大内正二が再選。ちなみに、大内正二の前回の区長就任は、区長の公選あるいは準公選を求める機運の高まりの中で行われ、区議会が区長候補たる大内正二をまず決定し、都知事がそれにそのまま同意し、区議会が正式に選任するという形式であった。
1971年(昭和46年)4月11日執行
統一地方選挙。議席数48。
1967年(昭和42年)4月15日執行
統一地方選挙。議席数48。
1963年(昭和38年)4月30日執行
統一地方選挙。議席数48。
1959年(昭和34年)4月30日執行
統一地方選挙。議席数44。
1955年(昭和30年)4月30日執行
統一地方選挙。議席数40。1952年(昭和27年)の地方自治法改正により、1975年(昭和50年)まで区長公選は行われない。
立候補している川本達人、大館政吉等(以下では「元区会議員」と表記)は、1932年(昭和7年)の中野区誕生から終戦まで存在した中野区会の議員であった。中野区会が存在した当時、衆議院については普通選挙法(ただし女子は排除)が成立していた。しかし、区会は区町村会法(明治17年太政官布告第14号)に基づく議会であるため、区会議員は、土地を所有する成年男子のみによる制限選挙で選ばれていた。
案分の内訳を下に示す。
1951年(昭和26年)4月23日執行
統一地方選挙。議席数40。この時の区長選挙では皆川五郎が公選区長としては2期目の当選。立候補者が131名と多いのは、戦災から復興して住民が定着しそれぞれの地元から利益代表として出たことと、公職追放が解除され古い人々も立候補したことなどによる。
1947年(昭和22年)4月30日執行
現行の地方自治法施行後、初めての統一地方選挙。議席数40。この時の区長選挙では、1945年(昭和20年)10月29日に官選の区長としてすでに就任していた皆川五郎が当選。
脚注
- 出典
外部リンク
- 中野区選挙管理委員会トップページ




